水戸黄門の話ではありません。助詞のなかの格助詞の話です。
日本語の文法では、日本語には格助詞というのがあるのだそうだ。そうそう、この話は「まちがいだらけの日本語文法」という講談社現代新書の本からネタを得ています。
「が」「を」「と」「に」「の」などは名詞にくっついて名詞の働きを表すので、屈折語の格変化と同じような役割を果たすので格助詞というのだそうだ。「私が」「私を」「私の」などといった調子であるが、「私」という名詞が屈折して格変化するという考え方をしてはいかんのだろうか? 格助詞は他に「で」「から」「より」「や」と、全部で9つあるのだそうだ。日本語では格が9つあるという考え方もできるということである。ラテン語では名詞の屈折により表す格は5つだか6つだそうなのでそれより多い。多いからいいとか悪いとかいうことをいいたいわけではありませぬ。屈折により格を表す言語とはいえ、全ての意味を屈折だけで表せないということかなあ、と思ったわけである。英語は屈折語的性格が磨り減って名詞の屈折では名詞の働きを表せなくなって、語順と前置詞に頼るようになったようで前置詞が他のヨーロッパの言語に比べて発達しているらしいが、屈折語のラテン語などでも全てを名詞の屈折で表せるわけでなく、前置詞を用いる場合もあるわけである。一番格変化の多い言語では、名詞はいくつの格をもっているのだろう? しかし格が多いと覚えきれないような気がするなあ。「主格」の場合は語尾にgaをつける、属格ではnoをつける、と、すべて規則的に変化するのであればそれだけ覚えればいいわけだが。