フランス語やスペイン語には代名動詞というものがあって、よく使われているという話であった。前回この話を書いたのはいつだったか忘れたが。
例えば、フランス語でlaverは「洗う」という意味の他動詞で、se laverは自分の体を洗う、ということである。再帰的代名動詞、というようだ。文字通り、自分自身を洗う、ということである。
一方、英語の場合、sellは「売る」という他動詞と「売れる」という自動詞を兼ねている。英語にはこういう動詞が結構あるようだ。lookは「見る」という意味もあるし「見える」(例えば、He looks pale. 顔色が悪く見える。)という意味もある。runにも「走る」「走らせる」があるし、sinkは「沈む」「沈める」の両方の意味になる。「走る」という意味でのrunは、「自分自身を走らせる」、自動詞「沈む」のsinkは「自分自身を沈める」という言い方もできるので、フランス語的な考え方をすれば代名動詞であってもいいと思うが英語では再帰代名詞をとらず自動詞として使われるわけである。これは、昔は英語でも代名動詞(英文法では再帰動詞というようだが)だったものが、再帰代名詞が磨り減って自動詞になった、という経緯があるわけではないんでしょうねえ? しかし、日本語の感覚で言うと、「沈む」も「沈める」も同じ、というのは、どうも馴染めないなあ。きっと、これでつまづく中高生もいっぱいいると思うのである。