語学に関する素朴な疑問など
by xabon
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カテゴリ:日本語( 40 )

複数の日本語

新聞の広告欄をみて面白そうな本が出版されたことに気づくことがある。面白そうなタイトルの本を見つけたときには新聞を切り抜いて持って歩けばいいのだが面倒なので本屋に行った時に「何か面白そうな本があった筈なんだけど思い出せない」、という羽目に陥ることもあるが今回は幸いにしてお目当ての本が平積みになっていたので、ちゃんと書名を覚えていたわけではないが幸いにも買うことが出来た。
講談社選書メチエからでた「複数の日本語」という本だ。副題が「方言からはじめる言語学」。
あまりちゃんと読んでないが、日本語を考えるときにはいわゆる標準語だけ考えても駄目なのだな。

方言も面白そうだと思うのだが昔の日本語も面白そうだ、と、最近思う。昔は全然そんなことは考えませんでしたが。国語の「古典」の時間というのは苦痛であった。「古文」と「漢文」があったが「漢文」のほうがまだマシ、「古文」は大嫌いであった。今から思うともったいないことをしたものだ。もっとちゃんと勉強しておけば良かった。

まあ、古典の話はともかくとして、方言の話は面白い。
標準語では、完了も進行も「...している」という言い方をするという話が載っている。「家が建っている」。これは完了ですな。誰かが建てて、それが終わった結果として家が建っているわけだ。
今、家が建ちつつあるわけではないですな。「家を建てている」なら誰かが家を建てるということそ行っていてそれが進行中であることを示していることになるわけだが。
「家を建てる」というのが「完成相」というアスペクトで、「家を建てている」というのが「進行/結果相」というアスペクト、ということになるらしい。テキストを写しているだけでよくわかっていないだろうといわれるとそうかもしれないがそのように上記テキストに書かれている。何が完成で何が進行だか、という感じだが時制を過去にしてみると「家を建てた」が完成相で「家を建てていた」が進行/結果相ということだ。進行/結果相というがこの場合には進行を表しているということになる。「家を建てた」は確かに家が完成しているし、「家を建てていた」なら家を建てる行為が進行していたことを述べているわけだから理解しやすい。なんだか「完了過去」と「未完了過去」の関係に似ているような気がするがどうなんでしょう? スペイン語でいうと「点過去」と「線過去」、フランス語でいうと「複合過去」と「半過去」ということですが。

日本語のアスペクトはかように「進行」と「結果」は「進行/結果相」という同じ形で表現され、これと「完成相」の2つのアスペクトを有する言語、ということだそうだ。
で、これは世界的には珍しい体系で、多くの言語では「進行相」と「結果相」は別々の形を持っていて、これと「完成相」の3つの相を持つ体系を有する、と書かれている。
英語は確かに進行形があるが、現在進行形のない言語も多い、というか、英語以外のヨーロッパ言語では普通、現在進行形というものはなくて現在進行していることは現在形を用いて表現するのが普通、と、前に読んだ本には書いてあったけど、どうも話が合わないような気がする。
フランス語やスペイン語の「完了過去」と「未完了過去」を「結果」と「進行」に分かれているとみなす、というのであれば過去形に関してはそういうことなのかなと思うんだが。

そういうわけで読み始めて早々によくわからないことに引っかかってしまったのであった。私ごときが読むには10年早い本なのかもしれん。
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by xabon | 2008-11-16 22:20 | 日本語

ふしゅう

Taroクンは「踏襲」を「ふしゅう」と言っている、という記事が今朝の新聞に出てましたな。
「踏む」の「ふ」ですか。一国の総理大臣に相応しい教養の持ち主といえるかどうか。まあ、今のJapanには相応しいかもしれない。
「タロウ、漫画ばっかり読んでないで、ちゃんと国語の勉強をしなさい」と、誰か言ってやって欲しいものだ。それとも「マンガのセリフには必ずルビを振ること」という法律でも作りますか。
ちょっと「平成教育委員会」か何かに出て実力のほどを見せてほしいものだ。ひらやまさんとどっちが漢字に詳しいか知りたいものである。どうでもいいことだが、「ひらやまあや」という名前を聞くと、「ひらやまさんにひらあやまりにおあやまりなさい」という早口言葉を思い出すのは私だけではないだろう。

まあ、こういうのはTaroクンばかりという訳ではない。「順風満帆」を「じゅんぷうまんぽ」と読んでしまうのはときどき聞くところである。
私もときどきやっているような気がするが具体例を思い出せない。湯桶読みとか重箱読みする言葉が苦手である。「ゆとう」は「ゆおけ」と読んでいたような気もするが定かではない。気がついたが、「湯桶」は湯桶読みするが「棺桶」は重箱読みするのだな。湯桶読みとか重箱読みとか、音読みと訓読みをごっちゃにするのが好きでないのである。音読みなら音読み、訓読みなら訓読み、どっちかにしろよ、と思うわけだ。ごっちゃにして何が悪い、といわれると困るが、好みの問題である。人名でも「俊輔」なんてのは私の好みに合わないわけである。「しゅんすけ」でなく「としすけ」と読むなら良いかというと、それはそれで垢ぬけなくて好みに合わないなあ。

まあ、どうでもいいことをごちゃごちゃと書いてしまったが、言いたいことは一つで、Taroクンも一国の総理大臣を務めるのであれば、それに相応しい教養を身につけて欲しい、ということである。そういう訳で、次の総理大臣には Ishiharaクン を推薦したい。Ishihara父でなく、Ishihara兄でもなく、Yoshizumiクンのことである。まあ教養がありさえすればいいというものでもありませんが。
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by xabon | 2008-11-11 20:51 | 日本語

曖昧な文

「ぼくは飼い主に忠実なイヌが好きだ」

これも、文脈がないと2通りの解釈の仕方が出てくる文だそうである。
「イヌというのは、飼い主に忠実なやつと、そうでないやつがいるが、ボクが好きなのは飼い主に忠実なほうだ」というようなことを言おうとしているのか、あるいは、「世の中にはイヌ好きとネコ好きがいるけれども、ネコは勝手気ままでボクの好みに合わない、ボクはやっぱり、飼い主に忠実なイヌのほうが好きだな」ということなのか、ということだ。

英語でいうと、また関係代名詞が出てくる。制限用法と非制限用法の違いですな。
I like dogs which are faithful to their owners.
なのか、
I like dogs, which are faithful to their owners.
なのか、という違いだ。英語では , のあるなしで明確に両者は区別される、ということになっているはずだ。

ドイツ語だと関係節は必ず , で主節と区切られちゃうらしいので文脈で区別するか、あるいは文の書き方を少し工夫せにゃならん、ということであろうか。

日本語でこの両者を、簡潔な書き方で区別する、というのは難しいかな。上に書いたようなちょっと長い文にすれば間違われることはないと思うが。

日本語の曖昧さの一つには関係詞がないことが影響している、ということもあるのかもしれない。
これもラジオに出てきた例文。
「羊飼いは泥だらけになって逃げた羊を追いかけた」
泥だらけになったのは羊飼いなのか羊なのか、もちろん関係詞があればそれを明確に区別できるだろうけれども、そんなのがなくても、「羊飼いは、泥だらけになって逃げた羊を追いかけた」とすれば泥だらけなのは羊だろうと思うし、羊飼いが泥だらけであることをはっきりさせたければ、「羊飼いは逃げた羊を泥だらけになって追いかけた」と、語順を変えれば済むことである。
修飾句の挿入部位というのはなかなか微妙で、変なところにつっこむと意味が曖昧になるということは日本語だけでなく、英語にもありそうだ。
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by xabon | 2008-09-20 04:34 | 日本語

曖昧な日本語の私

先日、帰り道でラジオを聞いていたら、どっちとも解釈できる表現についての話をしていた。最初の部分は聞いてなかったし、番組が終わるまえに家に着いてしまったので最後も聞いていなかったので、どういう番組なのかはよくわからないのだが。

その中に出てきた、曖昧な文、その1. うろ覚えなので多少違っているかもしれない.

「みんなの好きな体育の先生がやってきた」
これは3通りに解釈できるそうである。私は2つしか思いつかなかった。「みんなの好きな」がどこにかかるのか、つまり、みんなが好きなのが体育なのか、先生なのか、というところの解釈で2つに分かれるということである。これ、しかし、誤解されないようにしかも簡潔に表現するにはどう言いわければいいんですかね? 
まあ、それはともかくとして、3つめが私はわからなかったのであるが、「先生がみんなのことを好き」という解釈が3番目だそうである。助詞「の」が前の2つでは主語を表す役割を果たしているのに対して、3番目の解釈では「の」が「を」の役割を果たしていると考えるわけだ。ちょっと不自然な気もしたが、まあ、確かに、ちょっと言葉を足してみると、「みんなのことの好きな先生」という言い方は普通かな。

英語にも曖昧な文はあるはずだが、ここに出てきた3つの解釈は曖昧にならないように、かつ簡潔に書けるはずだ。
The PE teacher, whom all of the class like, has come.
とでもすれば、(クラスの)みんなが好きなのは先生であることが明らかだ。
The teacher of PE, which all of the class like, has come.
とすれば、みんなが好きなのは体育だ。先生のことが好きかどうかは定かでない。
The teacher of PE, who like all of the class, has come.

さて、この例文を「みんなの好きな物理の先生がやってきた」としたらどうなるか。
The teacher of physics, who like all of the class, has come.
と、
The physics teacher, whom all of the class like, has come.
は、やはりあるうる解釈である。
しかし、
The teacher of physics, which all of the class like, has come.
は、ありうる解釈のうちからはずしてもいいだろう。クラスのみな物理が好き、ということは、通常ではあり得ない筈だ。
(物理と名のつく授業でひとつも単位を取らず、「もぐりの学生」と同級生に言われてしまった物理嫌いの人間の戯言なので、物理好きの優秀な頭脳の持ち主のヒトは気にしないように。)

物理の話はさておいて、曖昧な日本語の続きの話があるのだが、長くなったのでまた改めて。
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by xabon | 2008-09-19 22:34 | 日本語

関西のことば

私はこてこての関西弁を話す人は苦手である。関西弁が苦手、というよりも押しの強い関西人のキャラクターが苦手なのである。
イタリア人のすべてが明るく陽気というわけではない、とジローラモ氏が言っていたようでこれは驚きであったのであるが、関西人のすべてが押しが強いわけでもないし、東国で生活している限りは標準語で通す、という関西出身者も確かにいた。こういう、相手に合わせて、関西弁を常には使わない、という関西出身者は当然ながら押しも強くなく、お話していても全くストレスを感じない。関西弁を使っても押しが強くない関西出身者もいるのかもしれないがとにかく東国に来ても相手に合わせる気もなく関西弁でまくしたてる、ということ自体が私にとってはストレスだ。

さて、先日、仕事帰りにNHK第2を聞いていたら関西弁のアクセントの話をしていたのであった。何の番組なのかはよくわからない。
日本語には個々の単語にアクセントがある。然るにいわゆる「標準語」というのは個々の単語のアクセントよりも、文全体のイントネーションが重視される、というような話であった。

WiiFitをやっていると、「からだ測定」というのがあって、身体バランスを評価するミニテストみたいなものがあり、それの成績により被測定者のバランス年齢が算出される。
これが人工音声によって「にじゅうななさいです」などと告げられるわけである。この人工音声は「にじゅう」「さんじゅう」などという年齢の2桁目を示す語と「ご」「はち」などという1桁目を示す語と「さい」という語が別々に登録されていて、実際に測定された身体バランス年齢が 27 だったとすると「にじゅう」「なな」「さいです」というように登録されている語の組み合わせを作って告げられるようになっているようだ。
身体バランス年齢が 30 だと「さんじゅう」「」「さいです」となる。普通に喋ると「さんじっさい」と「さんじゅう」のところは促音便形になるからそれだけでも不自然なのだが、「さんじゅう」の語の発音が「さん」のところに高く発音するアクセントが置かれ、「じゅう」で下がる。そこに「さいです」という語がくっつくと音の上がり下がりが不自然になってしまうわけだ。「さんじっさい」なら「んじっ」のところが高くて最初の「さ」、終わりの「さい」が低く発音されるはずである。我が家の小学生でも「あの声はちょっとおかしいよ」と気づくくらい不自然である。これが標準語の「個々の語のアクセントよりも文としてのイントネーション重視」ということであろう。

ところが関西弁ではそうではない、ということだ。文として読まれる場合でも、もとの単語のアクセントは維持されるそうである。文として自然なイントネーションにするために個々の単語のアクセントを変えてしまう、という現象がないらしい。そういわれてみると、自分の見聞きした範囲では確かにそうだ。

関西弁のほうが古い、「本来の日本語」ということらしい。すなわち、日本語ではもともとは個々の単語のアクセントが文の構成要素となった場合でも保持されるものだったらしい。しかし今の標準語はそうではない。標準語でなくても多分東国の方言というのは概してそうではないかと思われる。
古い日本語が東国でどうしてアクセント保持からイントネーション重視に変わったのか、どういう理由があるのだろう、というのが今日の疑問である。だれか疑問に答えてくれる「答えてくん」がいてくれるといいんだがなあ。
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by xabon | 2008-08-16 22:57 | 日本語

このごろの発音

ちゃんとテキストや辞書などに当たりながら書き込む余裕がない。雑談的な話題でお茶を濁すことにしよう。

「学校」の発音。良い悪いの話ではなく好みの問題である。
「小学校」「中学校」の「が」の音が、鼻濁音で発音されるのは、硬い[g]の音で発音されるよりは聞きやすいように思うが、「今日、学校で...」と、音がいったん切れた後に「ガ行」の音で始まるような場合にこれを鼻濁音で発音されるのは嫌いなのである。私の個人的な好みとしては、語頭の「ガ行の音」は[g]で、語中の「ガ行の音」は鼻濁音で発音されるのが聞きやすい。然るにNHKのニュースなど見ていると「今、学校で...」などというときの「が」の音をアナウンサーが鼻濁音で発音している。そのようなNHKの方針なのだろうか? 昔からそうでしたかね?

3月いっぱいで終わるらしい、「ものしり英語塾」。クオーター制の水曜日の放送は、このタームはまたシェークスピアである。私がシェークスピアに興味がなくても、そんなことはお構いなしだ。当たり前である。マクベスの発音がまた気になる。私としては、「マ」にアクセントを置いて、「クベス」のところは下がって読んで欲しいのだが、ラジオでは「マ」が低くて「ク」で上がって「ベス」も上がったままだ。まあ、これは「マクベス」に限った話ではなくて、「彼氏」も「か」が低くて「れし」が上がるような発音を若い女の子たちがしているし、「バイク」も「バ」が低くて「イク」が上がるし、「マック」も、「マ」が低くて「ック」のほうが上がるし、何でもかんでも頭が低く発音される傾向にあるらしい。私はこれが嫌いなのであるが、みんな、平身低頭の発音になってしまう。まあ、何でもかんでもというと大げさで、Macはマクドナルドかマッキントッシュかよくわからないが、Windowsは今の所誰も「ウ」が低くて「イ」で上がって「ンドウズ」を上がったまま平坦に発音する、などと言っているのは聞いたことがないわけであるが、それにしても / ̄ ̄という発音の仕方はあちらこちらにはびこっている。何でこんなことになっているんですかね?
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by xabon | 2008-02-08 12:12 | 日本語

ダイヤ

日本語には、どうも、間投詞とか擬音語・擬態語以外ではあまり「あ」で終わる言葉はないような気がする。全然ないわけではないが、あっても外来語ではないだろうか? ということで、私は、「日本語は、単語が『あ』で終わるのを嫌う言語だ」という説を唱えたいのだが、どうでしょうね? 
外来語も「ア」(兆音記号付きの「アー」も含めることにする)で終わる表記と「ヤ」などの、他の文字で終わる表記が併存することもある。これも、日本語が「あ」で終わる言葉が好きでないからではないかと思うわけである。元の言語の発音記号からかな表記を考えると「ア」になりそうなのに「ヤ」になっているものをあげてみよう。

ダイヤとは、diamondかdiagramを、日本で勝手に縮めたものだと思うが、日本語で表記するのに普通、ダイアとは書かず、ダイヤと書きますな。英語の単語には y の文字は入っていないし、発音記号でも[j]の音は出てこないけれど。

タイヤは tireか、tyreという綴りもあるようだが、「タイア」とは書かず「タイヤ」と書きますな。

「火」 fire も「ファイヤー」と表記することがあるが、「ファイアーエンブレム」というゲームもありますな。これはどっちが普通かな? 8年位前にやっていた「何とかレンジャーシリーズ」に「タイムレンジャー」というのがあって、その中に「タイムファイヤー」というのがいたな。

聖母は「マリア」か「マリヤ」か、両方あるような気がする。

イギリスの文豪の書いた悲劇の一つは「リア王」か「リヤ王」か、これもどっちもあったようだ。
しかし、文豪その人は「シェークスピア」であって、「シェークスビヤ」ではありませんな。
両方の表記があるものというのはどちらかというと「ヤ」のほうが古くて、「ア」で表記しているものは最近のもののような気もするが確証はない。

Asia は「アジア」だ。「アジヤ」と書かれたものは見たことがない。私が知らないだけかしらん?
しかし、こんなに広い地域をひとくくりにAsiaとしてしまうからいろんな問題が起きるのであって、せめて東と西くらいには分けてほしいものである。北米と南米みたいに、どっかにくびれでもあればよかったのだろう。インドがアジア大陸にぶつかってヒマラヤ山脈ができたそうであるが、山脈の代わりに地面がへこんで海になって、東アジアと西アジアをわけてくれていればMiyazakiクンも「アラブの笛」に悩まなくて済んだのかもしれないのである。まあそれはどうでもいいことだが。

「ア」の音の前に「イ」の音がくるとそれに影響されて半母音の[j] がはいるのだろうか? すると、「ア」の前が「イ」でなければ、「ア」が「ヤ」になることはないっていうことだろうか。
door は「ドア」と書きますな。「ドヤ」ではない。
core は「コア」だ。「コヤ」ではない。
なるほど。

さて、「ア」の前に「イ」が来るとその影響で半母音の[j]がはいって、「ア」が「ヤ」になるのであれば、「ア」の前に「ウ」がくると、半母音の[w]が入って「ア」は「ワ」になるのかなと思ってそのような例を考えてみるに、 sour とか hour とかいうのは確かに「サウアー」とか「アウアー」とか表記せずに「サワー」「アワー」となるのである。

さて、外来語の表記はまた違う問題かもしれないが、どうして、日本語には「あ」で終わる言葉が少ないんですかね? かな2文字で言葉をつくる、という問題をやってみてごらんなさい。「あ」を2文字目にすると、ほとんど意味のある言葉にはならないと思う。同じ母音でも、「い」「う」「え」「お」はそれほどでもないと思うぞ。
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by xabon | 2008-01-31 20:49 | 日本語

「ヒ」

ドイツ語の ich の「イッヒ」というときの「ヒ」は、日本語の「ハヒフヘホ」の「ヒ」の子音とだいたい同じ音らしい。日本語の「ハ」とか「ホ」というのはローマ字表記で[ha] [ho] と書くとおりであるが、「ヒ」は母音の[i]に引っ張られるせいか[h]の子音ではなくて、発音記号だと[ç]というような記号で表わされる音である。ついでに書くと「フ」は[hu]ではなく、上の前歯を下唇にあてて発音される[fu]でもなく、上下の唇の間に息を通して発音される子音で、発音記号では[φu]と書かれるようだ。

というのが私の理解であった。
然るに今週のドイツ語講座によると、関西では「ヒ」は[hi]と発音されているということであった。目から鱗。そうなんですか。周りに関西出身者がいないので確かめることができないが、今度、テレビに関西の人が出てきたときに気をつけて聞いてみよう。しかし、いくら関西人でも「フ」は[hu]ではないでしょうね?

ドイツ語の発音で日本人に「ヒ」に聞こえる音には ich の「ヒ」のほか、hinderなどの[hi]もあるそうで、日本人は[hi]が[çi]になっちゃうんですかね。関西出身者以外は[hi]をうまく発音できない人が多いという話であった。[z]と[dz]にしろ、[hi]と[çi]にしろ、なかなか難しいものである。

私の知っている人物に、何か楽しいことがあるたび「ひっひっひっ」といやらしく笑う人がいるが、これは[hi]じゃなく[çi]に近い音でしょうね。関西の人でもこういうときは [hi-hi-hi]とは笑わないだろうな。
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by xabon | 2007-04-12 06:03 | 日本語

「ヤ」

diamond は「ダイアモンド」と書かれることもあるが「ダイヤモンド」の方が普通だろう。
tire は「タイア」ではなく「タイヤ」である。
どっちも、英語では [j] の子音(あるいは半母音といったほうが良ければそういうことで)は出てこないのに、日本語では「ダイヤ」「タイヤ」である。
他には retire が「リタイヤ」。rear carは和製英語かもしれないが「リヤカー」(いまの若いもんは知らないかも)である。
Happy new year! は「ハッピーニューイヤー」で、ear ring は「イヤリング」である。
year なんて、[j] の子音がつくほうはア行の「イ」で表記する(ヤ行のイ段の音をかなで表記しろと言われても無理ではあるが)くせに、[j] の子音がつかないほうがヤ行で表記されるのである。不思議だ。
思うにこれは全部あいまい母音[ə]あるいは[ɚ]なのであるな。これは日本人の耳には、日本語の「ア」と同じ音には聞こえなかったのだろう。で、かなで「ア」とは書かず、「ア」よりはまだ「ヤ」の方が近いと感じられたのでこのように表記することになったのではないかと推測するのであるがどんなものか。
これらのあいまい母音の共通点としてはその前の音が母音であるということである。つまり、あいまい母音が子音との組み合わせでなく重母音として発音された場合、日本人の耳には「ア」には聞こえない、ということではないかと思うわけである。子音+あいまい母音の組み合わせの場合には、例えば、[tɚ]は「ター」、[sɚ]は「サー」であり、「タャー」とか「サャー」などとはならないのである。子音と組み合わせると、その子音の行の「ア段」の音に聞こえるのだな。
それにしても、大体、「タャー」なんて、いきなりそんな表記をされてもどう発音していいんだか、理解できないだろうし。
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by xabon | 2007-01-04 21:48 | 日本語

turn と tour

フランス語の単語帳を眺めていると、 tourner という単語がでていた。「回る」というような意味の動詞である。
英語だと turn である。さかのぼるとラテン語の tornare、さらにギリシャ語までさかのぼるらしい。
tourner の関連語として tour というのもでてくる。これは英語でも tour だ。なるほど、ぐるっと一回り旅をしてくるのが tour なのだな。tour de France というのもありましたな。「ターン」と「ツアー」、カナで書いてしまうと全然違う言葉に見えてしまうが、同じ由来の単語だったというわけである。英語とフランス語の違いもあるが、「ツール・ド・フランス」の「ツール」と「ツアー」が同じというのも、カナだけみているとわかりづらい。

日本語にはずいぶんと外来語が入っているけれども、カナで書いてしまうと言葉の由来がわかりにくくなってしまうというのはあまりよろしくない。由来がわかれば覚えやすくなる、ということもあるだろう。かえって混乱することもあるかもしれないが、本屋にいくと「語源で覚える英単語」みたいな本が結構並んでいたりする。

しかし、カナで書いてわかりにくければ、ローマ字書きするのがいいかというと、「コーヒー」のことを kohi と書かれても困るなあ、と思うのである。
日本人のことだから、「日本語をローマ字書きすることにする」と決めようとしても意見百出でまとまるまいが、仮に「ローマ字で書く」と決めたとしても「コーヒー」をどう書くのか、kohi と書くのか、外来語だから英語で coffee と書かせろとか、じゃあフランス語で café と書くのは認めるのかとか、正書法というのは決まらないだろうなあと思うわけだが、じゃあどうすればいいのか、といわれれば、わかりません。
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by xabon | 2006-11-06 07:37 | 日本語