人気ブログランキング |

語学に関する素朴な疑問など
by xabon
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
カテゴリ
全体
英語
フランス語
スペイン語
日本語
ドイツ語
韓国語
その他の国の言葉
綴り
発音
文法
その他
未分類
最新のトラックバック
フランス語ノート 13
from Blog サイトぅ
スペインファッション用語辞典
from 地中海の街から バルセロナ/..
親になる瞬間から『モンス..
from 魚眼(ぎょがん)しんぶん
マルキンバイオ、サラリー..
from お酢大好きブログ@酢の情報バ..
旅行に忘れてはいけない持ち物
from 国内旅行・海外旅行の豆知識
TOEIC900最短コー..
from TOEIC900最短コース『..
めざせリスニング満点!
from スーパーエルマーでTOEIC..
これで駄目なら英語は諦めろ
from 脳みそ筋肉男が、たった2ヶ月..
闘牛はすごいよ。
from ストレッチ 柔軟
めざせリスニング満点!
from スーパーエルマーでTOEIC..
以前の記事
2015年 05月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
2007年 01月
2006年 12月
2006年 11月
2006年 10月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月
2006年 04月
2006年 03月
2006年 02月
2006年 01月
2005年 12月
2005年 11月
2005年 10月
2005年 09月
2005年 08月
2005年 07月
2005年 06月
2005年 05月
メモ帳
検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧


寒い

「日本語の森を歩いて」に「寒いのは誰か」という段がある。
日本語では「浩子は寒い。」とは言えない、というのである。感覚や環状を表現する場合、3人称の場合にはもとの形のままでは言えない、という問題があるのだそうである。
しかし、著者自身が述べているように、そもそも「私は寒い。」という言い方もかなり不自然である。寒さを感じた場合には「寒い。」と、主語なしでいうのが普通だと思う。フランス語では J'ai froid. 、英語だと I feel cold. だろうか。しかし、日本語で「寒い。」といったときには、寒いのは自分だろうか、それとも天候のほうを指しているのだろうか? 英語でも天候の場合など、非人称主語をとる形で It's cold. とか It rains. とかいうが、むしろこっちのほうに相当する場合が多いような気がするんだが違うでしょうか?
それにしても確かに英語やフランス語では Elle a froid. なり、She feel cold.なり、1人称と同じ形を3人称の場合にも使えるのが、日本語ではあえて主語(主語といっていいんだろうか?)をつけていう場合には「私、寒いです」とはいえても「彼女は寒いです」といえない、というのは面白いというか、不思議である。日本語と似たところが多いという韓国語の場合にはどうなんでしょう?
# by xabon | 2005-09-19 20:33 | 日本語

和文英訳

英語が不得手なものにとって和文英訳の問題をやっていて困るのは解答例と違った風に訳した場合にそれが不正解なのかそれともこれでもいいのか、ということがわからないことである。
英文和訳ならば、たとえば、chooseを「選択する」と訳しても「選ぶ」と訳してもどっちでも大差ない、とか、この場合は「選択する」では硬すぎて「選ぶ」でないといけないとか、話の流れから判断ができるので、正解例と違った答を書いても、まあこれでもいいだろうな、というのがわかるのだが、和文英訳の場合には、解答例に select と書いてあった場合に、これが choose であってもいいのか、それともchooseはこういう場合には不適切なのか、不適切とまではいわないがやや不自然なのか、などということの判断ができないのである。selectとchooseというのはあくまでも例として出したのでこれも適切でないかもしれないがそれもわからない。
そんなことを気にする暇があったら、多少間違ってもいいからどんどん英語を使って見なさい、という説もあるようだが。
# by xabon | 2005-09-18 23:15 | 英語

「日本語の森を歩いて」

講談社現代新書から出ている表題の本を買って読んでみた。どうでもいいが「読んでみる」という日本語はフランス語話者からするとどう聞こえるのだろう。
「いってくる」というのは「いって」「(戻って)くる」という意味合いが含まれていてフランス語にはない表現だそうである。「本を買いに行ってきます」と日本人が言うような場合にフランス人は「本を買いに行く」(Je vais acheter un libre.というのだろうか)という言い方をするのだそうである。「いってくる」というのは日本語に特徴的な言い方なんだろうか? 英語やドイツ語でも「本を買いに行く」といいたいときに
「本を買いに行き(買ったら)戻ってきます」というような言い方はしそうにないなあ。韓国語ではどうなんでしょう? フランス語話者からみた日本語、というのは面白いのだけれどもちと難しい。なかなか一読では理解できません。この「なかなか」というのはフランス語ではどう訳されるんでしょう? 「なかなかやるな」の「なかなか」なんて訳すのが難しそうだ。「さすが」というのもうまくフランス語にならないらしい。ロシア語には「さすが」にあたる表現はあるんだろうか。なぜそんな心配をするかというと、昔「さすが、少佐」(ほんとうは、「さすが、鉄のクラウス」だったようだ)という言葉しかしらないソ連のスパイがマンガに出ていたような気がするからである。このマンガを英語やフランス語に訳すときにはこのスパイにどういう台詞をいわせるのか大変興味深い。「エロイカより愛をこめて」の英訳版ってありますか?
逆に、日本語になりにくいフランス語(英語・ドイツ語でもいいが)というのにはどういうのがあるだろう???
# by xabon | 2005-09-16 18:38 | 日本語

語順

日本語の語順というのはずいぶんとフレキシブルである。もちろん、日本語の場合にも述語は基本的には文末にこないといけない、という制約はあるが、
「明日、彼がその本をあなたのところに届けにくるでしょう」
というのを
「彼が明日あなたのところにその本を届けにくるでしょう」とも
「あなたのところに彼がその本を明日届けにくるでしょう」とも
「その本を彼が明日あなたのところに届けにくるでしょう」ともいうことができる。
これは「が」とか「を」とか「に」などという格助詞があるために、どこにあっても「彼が」が主語で「その本を」が英文法で言うところの直接目的語、「あなたのところに」が間接目的語に当たることが明白だからだと思うが、そういう点では格変化があるために語順の制約が少ないラテン語と共通している。格がはっきりしていれば文中のどこにあっても主語であるとか目的語であるとかいうことがわかるので語順にはこだわる必要がなく、逆に格変化がないと、格を前置詞であらわすか、さもなくば文中の語の位置によって表す必要があるので語順が固定化されてくるということだと思うが、格変化とか格助詞があるのに語順にフレキシビリティが乏しいという言語はあるんでしょうか?
# by xabon | 2005-09-15 06:27 | 日本語

SOV

そういうことで、ドイツ語の基本文型というのは英語と違って、主語+目的語+名詞の形が基本である、という説があるそうだ。あくまでも仮説の一つみたいだが。助動詞や否定のnichtが文末にでてくるのもこれで説明はつくらしい。
英語は否定文の場合には否定を意味する言葉が文章の前の方にでてくるので、これは否定文である、ということがわかる。日本語の場合には話を最後まで聞かないと、それまでいったことを肯定しているのか否定的なのかわからない。フランス語やスペイン語も、否定文の場合には文章の前の方に否定を意味する言葉が出てくると思うが、いわゆるインド-ヨーロッパ言語というやつがみなそうだと思っていると間違いらしい。英語の親戚のドイツ語が、英語と違った基本構造をしていたり否定語のはいる位置が違ったりするのは不思議だなあ。英語も昔はそうだったんだろうか? 他のゲルマン語系の言語はどうなんでしょう?
# by xabon | 2005-09-14 22:04 | ドイツ語

動詞の虐待

シャーロック・ホームズの「ボヘミアの醜聞」という短編の中にこういうところがある。
ホームズが依頼人からの手紙に This account of you we have from all quaters received. と書かれているのを見て「文章の組み立てが変だ。動詞をこんな風に虐待して文章の最後にもっていくなんてことをするのはドイツ人しかいない」てなことをいう。
(新潮文庫版を見て書いていますがもとの訳文のとおりではありません。もとの訳文、というのもちょっと変ですか。)
まあ、たしかに英語としては変な感じがするがどのくらい変なのかはよく理解できない。ドイツ人が英語を書くと本当にこんな風になるのか(あるいは当時のドイツ人はこんな英語をしばしば書いていたのか)、コナン・ドイルが適当に「ドイツ人っぽく」でっちあげたのかもわからない。
しかし、動詞を文章の一番最後にもって行くのが動詞を虐待することになるんですかね? 
ドイツ語は単純な文章では
Eine Frau liebte einen Mann.
という風に、主語の次に動詞がくるが(もっともドイツ語には格変化があるので英語と違って語順を変えて Einen Man liebte Eine Frau. とやってもあくまでも愛したのが女、愛されたのが男の方という関係は変わらないということである)、副文では動詞が文末にくるし、助動詞を使った文章では助動詞が文末、否定文ではnichtが文末にくるなど、文末に重要な要素がくることが多く、文末が末席で動詞を粗略に扱っているというのは英国人あるいはシャーロック・ホームズ、あるいはドイルの勝手な思い込みであろう。
日本語も動詞が文末にくる言語なので、英国人からみると動詞を虐待しているようにみえるかもしれない。本当は、大事に扱っているから文末に来ているのかもしれないのに。動詞保護団体がイチャモンをつけてきたら、ドイツの皆さん、ともに戦いましょう。
日本人も英国人も、自分たちが良いポジションだと思っている場所が、異文化の地から来た相手にとっては座り心地の良い場所とは限らない、ということには思い至るべきかもしれない。日本人が「こちらが上座ですからこちらにどうぞ」と無理やり上座に座らせても、外国から相手は「眺めの悪い場所に座らされた」と思っているかもしれないのです、という話が「ものしり英語塾」の9月号のテキストに掲載されているので参考まで。放送予定は9月21、22日のようだ。
# by xabon | 2005-09-13 21:19 | その他

論理的な文章

先週の「ものしり英語塾」によると、「大学に入ったので車を買った」というのは英語話者には理解できない文章らしい。大学に入ることと車を買うことの因果関係が不明である点がよくないというわけである。
大学というところが車に乗るところであればこの文章はきわめて論理的な文章であろうが、普通、大学というところは勉強するところである、多分。別に大学に入ったからといって車を買う必然性はない、教科書ならともかく。最近は教科書やら辞書やら買わず、簡単なアンチョコ本を買って済ます学生も多いようだが。それはまあどうでもいいのだが、英語では「大学に入ったがそこは自宅から遠く、交通も不便なので、通学用に車を買った。」とか「大学に入って、親が大変喜んで何でも好きな物を買ってやるというので、車を買った。」とか、ちゃんと因果関係が明確になっていないといけないのであった。
日本語だって本当は同じだと思うんだが、「大学に入ると親が車を買ってくれるということは一般的なことである」(我が家はお金がないのでそんなことは全くなかったが)という暗黙の了承が日本語話者の共通認識となっているのでそういう文章がごく普通に通用するのだろうなあ。
# by xabon | 2005-09-11 17:25 | その他

否定

英語には none, nobody, nothingというような語があって、これは代名詞の一種らしい。否定代名詞というのだろうか。
I don't meet anybody yesterday. という代わりに
I met nobody yesterday.
といってもいいということで、英語では動詞の部分を否定する代わりに否定形の目的語を使うことができるわけだ。目的語だけでなく主語を否定形にすることもできるわけで、
Nobody can beat me.
ということもできるようだが、これを
Anybody can't beat me.
というのは正しくないらしい。any+notで否定する形は主語にはなれないのだそうだ。
さて、日本語にはこのような否定形の作り方があるかと考えてみたが思い当たらない。何かに「日本語にはこのような否定形はない」と書いてあったので、そうなのだろう。
英語で書かれた物語に、「私は誰にも会わなかった」というのが I met nobody.の形で発言され、それを聞き手が無理矢理、あるいは文字通り nobodyという人に会った、と解釈したために話し手との間にトンチンカンな問答が起こる、というような話があったように思うが、日本語にはこういう「否定代名詞」というものがないため、こういう話をうまく訳せないという事態が起こるわけである。
「私は無人にあいました」
と不自然に訳すか、
「私は誰にも会わなかった」
「誰でもないものと会ったって?(訳注:原文では話し手は 'I met nobody.' と話している。聞き手は話し手が文字通りnobodyという人物にあったものとして話している)」、
などと興ざめな訳注をつけて読者に放り投げるか、どっちにしろ、日本語では元の文章のおかしさが伝わらない、ということが起き得るのであるが、所詮文章というのはいくらうまく訳してもなかなか書き手が意図した通りには読者には伝わらない、ということがあるのかもしれない。
# by xabon | 2005-09-10 17:50 | 英語

確実性を表す表現としての法助動詞

トラックバックがついている。有難いことである。

法助動詞は、確実さの度合いを程度別に表すのに使われるのだそうだ。

He is the president. これは確実に社長であることを表すようだ。
He could be the president. どういうシチュエーションかなあ、新入社員が入社式で前の方に座っている人たちを見渡して、「あの人が社長かなー、この人かな、きっとあの人だ」というような状況であればこういう表現を使うかもしれない。
He should be the president.
He ought to be the president.
He may be the president. この辺まで来ると「社長かもしれないし、そうでないかもしれない」と、かなりあやふやな感じがする。
He might be the president.
He might not be the president.
He may not be the president.
He couldn't be the president.
He can't be the president. 「あの人が社長なわけないよ。(あんな安っぽい服を着て。)」
He isn't the president. 「あの人は社長ではない。(というのは、面接を受けた人事部長だということを知っているからだ、というような確実な根拠がある。)」これは100%の否定。
may とmightとmight notとmay notのあたりは、どれも「そうかも知れないしそうでないかも知れない」というような50:50に近い線だと思うが、mayは「社長である可能性の方がやや高い」、mightはmayより可能性が低いが社長である可能性が50%以上はありそう」、might notは社長でない可能性の方が50%以上、may notはさらに社長でない可能性がちょっと高い、というようなニュアンスでしょうか?
canとかmayという助動詞は、中学校の文法ではそれぞれ「...できる」「...しても良い」という意味である、と教わり、couldはcanの過去、mightはmayの過去、と教わるので、どうしてもcould=「...できた」、might=「...しても良かった」と思ってしまう中学生が出てきてしまい、そうじゃない、といわれ、「英語はわかんない、嫌いだ」ということになっていくのである。多分。私は中学生の頃、英語は嫌いじゃなかった、ような気がする。
# by xabon | 2005-09-08 18:47 | 英語

話法の助動詞

少なくとも、英語とドイツ語とフランス語とスペイン語では、英語のhaveに相当する語とbe動詞に相当する語が、時制とか受動態のときの助動詞として使われるようだが、そういう助動詞のほかに、「法助動詞」とか「話法の助動詞」というものがあるのだそうである。あるのだそうである、と書いたが、英語ではお馴染みの can, may, mustなどの助動詞、これらを「法助動詞」というのだそうである、といったほうが適切かもれない。英語の文法書によるとcan, may, mustのほか、will, shall, ought toがここに分類され、can, may, will, shallの過去形にあたるcould, might, would, shouldも法助動詞として扱われるということだ。こういう助動詞の役割としては「本動詞の意味する動作・状態に、話し手の主観的な判断・態度を加えること」らしい。うーん、わかりにくいなあ。少し具体的にやってみればいいのだ。
President Bush visits an emergency shelter. といえば、話者の主観抜きに「大統領は避難所を訪れる」ということであるが、
President Bush will visit an emergency shelter. といえば「訪れるだろう」、President Bush can visit an emergency shelter. といえば「訪れることができる」(あるいは「訪れるかもしれない」)、President Bush must visit an emergency shelter. 「訪れなければならない」、President Bush should visit an shelter.「訪れるべきだ」などと、主観的な判断とか意見とかが入ってくる、というわけであろう。
英語の場合、話法の助動詞は、過去形があっても、本動詞のように「...する」に対する「...した」という意味で使われるというよりは主観的判断・意見の程度の違いを表すことが多いようだし、そもそも過去形がない助動詞もある。三人称単数現在の語形変化もない。現在分詞や過去分詞がないとか、普通の動詞とは違うところが多い。
ドイツ語にも英語と同じような話法の助動詞があるが、ドイツ語の場合にはちゃんと過去の事を表すために使える過去形があるし、人称変化もある。そういうところは本動詞とあまり変わらないのである。英語の助動詞ももともとはそういうものだったのじゃないかと思うのだが、いったいいつから今のような、本動詞がもっている特性がなくなったんでしょう? これも磨り減り現象の一つでしょうか? それとも全く違うこと?
フランス語ではpouvoirがcan、mayに相当し、devoirがmustに近いと思うんだが、これらの動詞はフランスでは助動詞ではなく本動詞扱いのようである。そもそもフランス語に話法の助動詞という概念があるんだろうか? 手元の初級文法書には書いてないぞ。
# by xabon | 2005-09-06 21:13 | 文法

安い

そういえば以前フランス語には「浅い」を意味する固有の形容詞がないという話を書いたが、「安い」というのはフランス語で何と言うのかみつけられない。値段の高い・安いという話である。
「それは高い」というのはC'est cher.といえばいいのだと思うが、「それは安いね」というときには何ていえばいいのでしょう? Ce n'est pas cher.というのでしょうか? 手元の仏和辞典によると、英語のdearに当たる単語だそうだ。そういわれてしまうと英語のdearの対義語というのも思いつかないなあ。英語は置いとくとして、フランス語に戻ると、「一番安いワインにします」というときには Je prends le vin le moins cher.というようだ。辞書の例文を一部変えただけですが。フランス語は劣等比較が使えるので対義語がなくてもあまり困らないのかしらん? それとも「フランスには安物はないので『安い』という単語はいらないのだ」ということかしらん? いくらフランスだって、買うものの値段は安いほうがいいと思うんだけど。フランス語で「安物買いの銭失い」といいたいときはどのようにいうのでしょうか?
# by xabon | 2005-09-05 20:13 | フランス語

孤島語

日本語は、近隣の言語に類縁関係の言語がなくどこからやってきたか起源がはっきりしない言語なんだそうである。少なくともそういう言語という意味に関しては周囲から孤立している(言語以外にも孤立しかかっているようだが)ので「孤立言語」という風に書いてあるものもあるが「膠着語、屈折語、孤立語」の「孤立語」と区別するために「孤島語」といったりもするようだ。日本列島は孤島ではありませんが。
韓国語は文法的には共通点が多いが、何しろ、中国由来の単語を除くと語彙に共通点が少なすぎるので類縁関係にあるとはいえないということである。たしかに一生懸命ハングルを読み解いても、結局読み方がわかるだけで語の意味はわからないのである。ところで韓国語は近隣の言語とはどういう関係にあるんでしょうね? 少なくとも中国語とは類縁関係にないと思うが。モンゴル語あたりとは共通性があるんでしょうか? モンゴル語も文法的には日本語と共通点が多いのでモンゴルから来た力士は日本語の上達が早いという話らしいけれど、日本にいると、韓国語とモンゴル語がどのくらい違っていてどのくらい似ているのかというのはさっぱりわかりませんね。
スペインのバスク語というのも起源のわからない謎の言語だそうだ。こういう言語が、使っている人は多くはないとはいえ、残っているというのが興味深いことである。そういえばアイヌ語っていうのはどうなっているんでしょうね?
# by xabon | 2005-09-04 08:32 | 日本語

ケ・セラ・セラ

ついこの前までは、スペイン語で聞いた事がある言葉といえば「ケ・セラ・セラ」くらいのものだったのである。「なるようになるさ」というような意味だと理解していたが、Que sera sera. と書くんでしょうね。
Que は関係代名詞でしょうか。感嘆文ではなさそうだし疑問文でもないようだし。
sera はser の三人称単数未来形、英語にすれば will be に相当するでしょうか。
というところまでは考えたのだが、よくわからない。NHKのテキストには書いてないようだ。英語にすると It will be what it will be. 「それがなるであろうものになるであろう」てなところかな、と思ったのだが間違っていたら誰か正解を教えてくれるととても有難いです。
# by xabon | 2005-09-03 20:28 | スペイン語

hurricane

最近の支持率低下に悩む合衆国大統領ジョージWブッシュは、ハリケーンにより合衆国本土にもたらされた甚大な被害に対して迅速に対応して人気回復を図ろうとした。
「ならず者海洋メキシコ湾に対して直ちに一斉攻撃を加えよ」

ハリケーンの被害に遭われた合衆国のかたがたにはお見舞い申し上げます。ここでお見舞い申し上げても何の役にも立たないが。スマトラの地震のときには一応何千円だか募金したんですけどね。今回はまだです。
しかし、合衆国というのは、危ない(いろんな意味で)国だというのが思いがけずも表にでてしまいましたね。神戸の地震の時には略奪は起こらなかったと思うが、この違いはどこからきたのか。
日本も「アメリカ型社会」を目指すと、台風やら地震やらで大きな被害に遭うのは貧困層、ということになりやしないでしょうか。お金持ちはしっかり災害保険にはいっていて、「焼け太り」とまではいかないにしても、比較的失うものは少なくて済むようですが。

台風とサイクロンとハリケーンは発生する場所が違うほか、最大風速が異なるのはなぜだろう? これでは「趣味の科学」だ。
# by xabon | 2005-09-03 20:12 | その他

ガンバ

サッカーの「ガンバ大阪」の「ガンバ」というのはイタリア語でgamba、「あし」のことだそうである。日本語では下肢は全部「あし」であるが、漢字では「足」と「脚」、英語では foot と leg、フランス語では jambe と pied と、踝を境にそれより先と手前で区別する言語が多いようだ、知っている範囲の中でであるが。日本語、大和言葉ということであるが、語彙が少ないような気がしますね。日本語の語彙はさておき、gambaであるが、これは「足」のほうでなく「脚」のほうであるようだ。そう思って見ると、親類のフランス語のjamboと、なにやら似ているではないか。イタリア語では j は基本的に使わないので g になっているが、mとbの子音は共通している。語末の母音字がa-eと違っているところは例によってわからないが。知っているヒトにはなんでもない事だろうが、こういうことに気づくことが面白いのである、と自己満足する。
gとjの関係も、イタリア語では「カ行」の音がフランス語では「シャ行(chの綴り)」になることがあるみたいだし、その有声音の「ガ行」と「ジャ行」にも同じような関係があるのかなあ、と思いました。
# by xabon | 2005-09-01 18:57 | その他

TUFS通言語文法モジュール

しかしさすがに世界中にはいろんな言語があるもので、形容詞がない言語もあるとか。「赤い」ということを表すのにどう表現するんでしょう? 形容詞がない、ということ自体が想像の外にあります。
またある言語では時制による変化がなくて、過去を表すには「昨日」という、過去を表す言葉をつけて表現するとか、未来も同じく「明日」ということばをつけると未来の事になるとか、簡単でいいなあ。
しかし、いろんな言語があっても、肯定文とそれを否定する文があった場合には、肯定文が基本で、否定文のほうに否定を表す言葉が付け足される、というのはどの言語にも共通しているらしく、否定文になにかをくっつけて肯定文にする、というやり方をとっている言語は多分どこにもないだろう、ということであった。

ちょっと短いなあ。否定文で思い出したことを書いておこう。英語では「二重否定」はあまり使わないほうがいいということになっているらしい。スペイン語では一つの文章のなかに否定を意味する言葉が2回でてきても二重否定にならない、あくまでも否定文ということらしい。日本語では二重否定は好ましい表現ではないということはない、と思う。日本語にはさらに、特殊な用法ではあるが、二重肯定というものがあるにはある。どちらも、あるんだけどあまり積極的には認めたくないなー、というニュアンスでしょうか。フランス語では「二重否定」というのは認められているんだろうか? 手元の初級文法書には書いていないような気がする。ドイツ語ではどうだろう? 「二重肯定」に相当する表現は外国語にはあるだろうか?
# by xabon | 2005-08-31 21:57 | 文法

TUFS言語モジュール

TUFS言語モジュールは面白く、暇潰しにはもってこいである。もちろん、それで勉強すればもっといいのであるが。
しばらくさぼっていたら、「通言語文法モジュール」というのが増えていた。これは「英語」「仏語」「日本語」というような言語の各論ではなく、各言語を通して、時制とか語順とかいった文法的なことを考えるためのものらしい、間違ってたらごめんなさい。
これを読んでいるといろいろと面白い事が書いてある。世界中には6000以上もの言語があるとかいうことらしいが、そのうちの3つか4つくらいを齧っただけではわからない、いろんな特徴をもった言語があるのだろうなあ。
スワヒリ語には「名詞クラス」が12もある、とか。「名詞クラス」というのはフランス語やドイツ語で出てくる「性別」に当たるものらしい。「クラス」が2つか3つくらいだと「男性、女性」に「中性」を加えるくらいで分類できるので「性」という言い方をしてきたのだろうがさすがに12もあると男女の性別になぞらえて分類するという考え方ではとうてい対処できないので用語も「性」から離れてしまったのであろう。ゾウリムシには性別が4つあるらしいから、4つくらいまでなら「性別」という考え方でも良かったんだろうけれど。さて、何を基準に12の「クラス」に分けるのだろうかと、スワヒリ語関連のHPを探して見るとどういうわけかそこでは、名詞は8つのクラスに分けられる、となっている。はて??? ま、8つでもいいのだが、そこでは「ヒトや生物が含まれるクラス」とか「果物が含まれるクラス」とかいう風に分かれているようだ。ま、なにがどう分類されてもいいのだが、それぞれに対して「主辞」とか「所有格接頭辞」とか、語形変化させる「接辞」というものがあるらしい。もちろんスワヒリ語話者はこういうのをちゃんと使いこなしているわけであろう。思わず尊敬してしまいます。
# by xabon | 2005-08-30 20:18 | 文法

英語の言文一致

まっくすさんのコメントの返事を書こうと思って忘れていたなあ。こっちに書いちゃおう。
英語の母音はローマ字の母音字より多いので-oo-と書いて「オー」と読まず、「ウ」になったりすることはあっても仕方がないと思うんですよね。ただ、-oo-と書いて、短い「ウ」だったり長い「ウー」だったりするのが困る、ということでしょう。
-ea-が「エ」だったり「イー」だったり、とか。どっちかにしてくれよ、というところでしょう。フランス語なんかはそういう意味では「eau」は「エアウ」と「書いたとおり」には読まないけれども原則としては「オ(-)」と読む、ということで、英語よりはだいぶましだと思います(eの読み方の問題と、語末の子音を読まないという別の問題はあるでしょうが)。
そういうことを考えたヒトは昔からいるようで、アメリカ英語とイギリス英語の綴りが違う単語があるのは、アメリカで実態にあった綴りを広めようとしたヒトがいたかららしいですが不徹底ですね。発音どおりの綴りにしようとしてもなかなか昔からの綴りを改めるというのには抵抗があるのでしょう。ま、何時の世にも何処にでも、抵抗勢力というのはいる、ということで。
# by xabon | 2005-08-29 18:44 | 英語

語彙

同じくらいのレベルの英和辞典と仏和辞典を比べると英和辞典の方が厚い。英語の語彙数というのは他の言語に比べてずいぶんと多いらしい。何かに書いてあったのだが、具体的にどのくらい多いかは忘れてしまった。英語はゲルマン語系の言語だが単語レベルではフランス語やラテン語からも数多く言葉を取り入れているから語彙が多くなったらしい。でもって、同じような意味の単語でも元から英語にあった単語と外来語をいろいろと使い分けているということだそうだ。pigが動物の豚としての意味で、フランス語から入ってきたporkは豚肉、とか、askは話し言葉で多く使うがdemandはもっと堅苦しい言葉とか。
日本語でも、大和言葉は話し言葉で柔らかい感じがするが公文書にはそぐわない場合があって、漢語を使ったほうがそれらしくなる、ということがあるけれども、同じようなことでしょうか。
私が仕事をしていて必要に迫られて読む英語の文章というのはまさにそういう「公的文書」なので、フランス語とか、ラテン語とかギリシャ語とか、そういう、英語の大和言葉じゃない単語が比較的多く使われている文章であることが多い。こういう文章に出てくる語彙というのは、同じジャンルの文章を読んでいる限り割と限られているので、私の語彙は増えないのである。英語のボキャ貧である。然るに、フランス語でも、同じジャンルの文章を読む分には英語の単語を知っていればそこそこ読めてしまったりするのである。まあ、avoirとかfaireとかいう基本的な仏単語と、仏文法がある程度わかっている、というのが前提であるが。これは専門用語が多く使われるジャンルの文章の話であって、日常的な文章となると随分と話は違ってくる。
これがドイツ語となると英語と違ってあまりフランス語やラテン語から語彙を取り入れて入ないようで、自分の専門領域であっても簡単にはいかず、ドイツ語の単語を知らないとさっぱり読めないのであった。これは私より遥かにできの良い先輩も同じ事を言っていたから間違いないと思うのである。
# by xabon | 2005-08-29 18:32 | その他

前置詞

英語は前置詞が発達した言語だそうである。ラテン語などで名詞の格変化で表していた部分がなくなったので前置詞で「...と」とか「...から」というような意味を表さなければならなくなったかららしい。学校のテストでは穴埋め問題「適切な前置詞を入れよ」というやつに悩まされたものである。しかし、フランス語にもドイツ語にもいっぱい前置詞はあるようだし、ドイツ語ではその後ろにくるのが3格か4格かなんてことも考えにゃならんのであって、英語だけが難しいわけではない。
フランス語の前置詞 deは英語の ofに当たる場合と fromに当たる場合がある。受動態の動作主を表すときにも、普通は parを使う(英語のbyに相当する前置詞らしいが)が動詞によってはdeを使うことがある。昔、be made の後に来る前置詞はfromかofかで悩まされたものだが、英語も両方まとめて一つの前置詞だったら簡単なのになあ。
フランス語のáは英語のatとtoを兼ねたような前置詞で、enは英語のinに相当する前置詞らしいが、英語ではin Englandとかin the United Statesと、国の場合はinを使いat Franceとかat Iraqという風に後に来る国名によってatを使うということはないのに、フランス語では後ろの国名によりau Japon (=á + le Japon)とáを使う場合とen Franceとenを使う場合があって、どうしてフランス人はこういうことをするのかが不思議だ、というのは前にも書いた記憶がある。
フランス語にはchezという前置詞があって、英語にはこれに当たる前置詞はない、と思う。知る限りではスペイン語やドイツ語にもこういう前置詞はないように思うが私が知らないだけかもしれない。「...の家に」というような意味を表すらしい。chez moiで私の家に(家で、の場合もある)ということだ。英語ではin my homeなどといわないといけないのだろうがわざわざhomeとかhouseとかいわなくて済むのですな。というか、chezという単語自体が、casa(家)という単語から来ているということなので、むしろinとかtoとかいわなくて済んでいる、と考えるほうが当たっているのかもしれない。chezの後に続くのは自分の家とか相手の家とかいう個人の家のレベルに限らず、店屋とか、場合によっては地域とか国を指す言葉が来てもいいらしい。
Je dois aller chez le dentiste. 歯医者に行かなきゃなりませぬ。これは本当の話なので、ああ気が重い。
# by xabon | 2005-08-27 09:28 | 文法

接続法

半年毎の語学初級講座では、この時期になると「接続法」というのが出てくる。今日もフランス語講座でもスペイン語講座でも「接続法」の話をしていた。どうもこの、接続法というのがどういうものなのか、今ひとつ理解しきれないのだが、講座の講師の先生方も「一言で説明するのは難しい」といっているくらいなので、素人がよくわからないのも仕方がない事なのだろう。
どうやら、間接話法や願望を表す文などに使われる形式で、あるテキストの文章を借りれば、「話者の頭の中にだけある事柄を表すためのモード」ということだそうである。やっぱりよくわからないなあ。
「私は彼は幸せだと思う」 この場合は、彼が幸せである、というのは話者にとって確かな事実なので、こういう場合には直説法を使うものらしい。Je crois qu'il est heureux.
「私は彼が幸せであることを望む」 この場合、彼が幸せかどうか、話者にとって確信がないことなので接続法を使わないといけないらしい。 Je souhaite qu'il soit heureux. となるのだと思うが、間違っていたら指摘してもらえるといいなあ。この「指摘してもらえるといいなあ」もフランス語で書くなら接続法で書かないといけないのだろうなあ。しかし、ここでまた動詞の活用を覚えないといけないわけで、それだけでも厄介だ。その上、上のような接続法を使うべき場合とそうでない場合、というのがあって、どういうときに接続法を使うべきなのかをマスターしないといけないのである。スペイン語講座では上級編で半年かけて接続法の使い方のレクチャーをするくらいだから、私のような初心者がちょこっとやってわかるようなものではないのだろう。そんな難しい事を考える暇が合ったら、もっと基本的なことを覚えなさい、と言われそうだなあ。
# by xabon | 2005-08-25 19:51 | 文法

ナ行い段の「に」

日本語の「に」の子音は[n]というよりは、スペイン語でいうところのñの音に近いんだそうである。「な・ぬねの」の子音じゃなく「にゃにゅにょ」の子音である。そう思って発音するときの舌の動きに気をつけると、「な」のときには上の前歯の付け根くらいのところに舌先がくっつくのに対し、「に」では舌先が前歯の付け根にくっつくだけでなく、舌のもう少し後ろの部分が口蓋の方までくっついている。なるほど。舌先だけ前歯の付け根にくっつけて発音すると「に」というより「ぬぃ」というような音になって日本語の音ではないようだ。
「かきくけこ」の「き」も「か」とはちょっと子音が違うようだ。これは発音記号ではあまり区別しないことが多いようだが、「か」の場合には舌の奥が軟口蓋にくっつくが「き」の場合には少し前寄りになる。
サ行とタ行では「い段」の子音は明らかに違う。サ行の子音は上と下の歯の間での摩擦音、タ行はナ行に似た下の動きだと思うが、「い段」の「し」「ち」の子音は少し後ろ寄りになるようだ。母音が[i]のときには子音が母音の影響で変化する、ということだろうか。
なぜ「さしすせそ」「たちつてと」のときに「し」「ち」では子音が他と違うのか疑問だったのだが、「サ行」「タ行」だけの問題ではないらしい。い段の文字の場合、[i]の母音を発音しやすくするためにあらかじめ子音の発音も母音に引っ張られて変化する、と解釈していいでしょうか?
# by xabon | 2005-08-24 22:09 | 発音

代名動詞と英語の自動詞

フランス語やスペイン語には代名動詞というものがあって、よく使われているという話であった。前回この話を書いたのはいつだったか忘れたが。
例えば、フランス語でlaverは「洗う」という意味の他動詞で、se laverは自分の体を洗う、ということである。再帰的代名動詞、というようだ。文字通り、自分自身を洗う、ということである。
一方、英語の場合、sellは「売る」という他動詞と「売れる」という自動詞を兼ねている。英語にはこういう動詞が結構あるようだ。lookは「見る」という意味もあるし「見える」(例えば、He looks pale. 顔色が悪く見える。)という意味もある。runにも「走る」「走らせる」があるし、sinkは「沈む」「沈める」の両方の意味になる。「走る」という意味でのrunは、「自分自身を走らせる」、自動詞「沈む」のsinkは「自分自身を沈める」という言い方もできるので、フランス語的な考え方をすれば代名動詞であってもいいと思うが英語では再帰代名詞をとらず自動詞として使われるわけである。これは、昔は英語でも代名動詞(英文法では再帰動詞というようだが)だったものが、再帰代名詞が磨り減って自動詞になった、という経緯があるわけではないんでしょうねえ? しかし、日本語の感覚で言うと、「沈む」も「沈める」も同じ、というのは、どうも馴染めないなあ。きっと、これでつまづく中高生もいっぱいいると思うのである。
# by xabon | 2005-08-23 21:22 | 英語

スペイン語の現在完了形をフランス語の複合過去と比較すると

スペイン語ではhaber+過去分詞の形はフランス語流の「複合過去」ではなく、英語と同じで「現在完了」だ。複合過去などという時制扱いなのはフランス語だけだろうか?
いちおう形は一緒なので比較対象にすることにすると、スペイン語のほうはhaber+過去分詞の形だけで、移動の自動詞であってもestarとかser+過去分詞という形はとらないらしい。(文法書に、昔はそういう形もあったがhaberを助動詞に使うように統一された、と書いてあったような気もするが記憶違いかもしれない。また図書館にいって借りてこないといけないなあ。)
フランス語ではavoir+過去分詞の複合過去形の場合に動詞の前に目的語代名詞がくると過去分詞は目的語の性数にあわせて語形変化させないといけないが、スペイン語ではそのような変化はないようだ。
# by xabon | 2005-08-22 19:41 | 文法

複合過去形の性数の一致

フランス語の複合過去形といえばavoir+過去分詞からなる、英語の現在完了形に相当する時制であるが、一部の自動詞、もっぱら場所の移動を表す動詞の場合には、être+過去分詞の形をとる、ということだそうである。前にも書いたような気がするなあ、これ。
さて、この、être+過去分詞パターンをとる場合、過去分詞は性・数が主語に一致するように変化させないといけない、というルールがあるそうだ。つまり、
Elles ont acheté des livres hier.
という風に、avoirを助動詞にとる動詞の場合には主語が女性だろうが男性だろうが、単数だろうが複数だろうが過去分詞はそのままの形で使われるのに、
Elles sont allées au cinema.
などという風に、alléに女性複数形の-esをくっつけないといけない、というようなことが起きるわけである。
こういう自動詞の場合は、過去分詞は形容詞的な役割になっていて、「彼女らは映画に行った状態である」というような、主語が「行った状態である」ということを示す形容詞というような認識なのであろう。
それに対してavoir+過去分詞のほうは、前に英語の現在完了形でやったように、
Elles ont des livres acheté. 「買われた本を持っている。(つまり、本を買ったのだ)」というような形から始まったのだとすれば、achetéは主語の状態を表す言葉じゃないわけだから主語と性数が一致するわけがない。むしろ、des livresと性数が一致するはずであるが、普通は一致させないようだ。然るに、「本」を代名詞「それら」にして、「彼女らはそれらを買った」となると、
Elles les ont achetés.
と、lesにあわせて、achetéを複数形にしないといけなくなるということである。私は入門レベルなのでこんな和文仏訳はしないのでいいけれども、きっとこの辺はよく間違えるところなのではないだろうか。しかし、何で目的語が代名詞でないときには性数を一致させなくてもいいんですかね?
# by xabon | 2005-08-21 21:48 | フランス語

関係代名詞

「ほとんどの単語が母音で終わりそのような現象を起こさない日本語の使い手...」などという、直感的にわかりにくい文章を書いてしまった。
「ほとんどの単語が母音で終わりそのような現象を起こさない」という部分は「日本語」という言葉を修飾しているのだが、すでにこれだけで一つの文になっているのでわかりにくいのだな。「日本語ではほとんどの単語が母音で終わり、そのような現象を起こさない。そういう言語の使い手...」とやればこの部分に関してはすっきりするのだろうが前後とのつながりの問題もある。The speaker of the Japanese, in which most words end in vowels and such phenomena are not seen usually...とでもなるでしょうか、間違っていたら直して貰えると有難いんですけど。ときどき、日本語にも関係代名詞があったらなあ、と思うのである。英語だと I wish if there were relative pronouns in the Japanese. でいいでしょうか? これは関係代名詞とは何も関係ありませんが。日本語には関係詞というものがないので、英語の関係代名詞というのはなかなか理解しにくい、とされている。さらに、制限用法と非制限用法、なんてものがあってややこしい。
# by xabon | 2005-08-20 10:19 | 文法

リスニング

それにしても英語のリスニングは苦手だ。単語の切れ目に関係なく前の単語の語尾の子音と次の語頭の母音がくっついて一気に畳み掛けられるとさっぱり聞き取れません。しかも語彙が少ないからしらない単語が出てくるとお手上げである。
「大人の英語発音講座」という本に、イギリス人教師の「アナニアナナエ(グ)」というのが聞き取れなかったという話が出ている。an oinon and an egg がこう聞こえるというわけである。知っている単語ばかりだから語彙の少なさとは関係ないが、こんなの絶対わからないぞ。単語が全部くっついているではないか。こうも単語同士べたべたくっつくというのは、英語って本当は膠着語なんじゃないだろうか。ま、冗談は置いておいて、フランス語もリエゾンとかアンシェヌマンとかいう現象があって前の単語と後ろの単語がくっついて発音されることが多いが、etのようにリエゾンしない単語などリエゾンしてはいけないところ、というものもあってある程度発音が切れるように思う。まあ、フランス語講座以外ほとんどフランス語を聞く機会もないので間違っているかもしれないが。英語は子音終わりの単語と母音始まりの単語が続く限りくっつけて発音するようで(ちょっと大げさか)、ほとんどの単語が母音で終わりそのような現象を起こさない日本語の使い手としてはそのまま英語の発音を聞いても何が起きているのかすらよくわからないのであった。
それにしても「英語リスニング入門」がなくなってしまったのは寂しいなあ。「ものしり英語塾」も面白いんですけどね。
# by xabon | 2005-08-20 07:37 | 発音

またまた冠詞の話

昔買った本を読み返してみる。「続 日本人の英語」という岩波新書である。ここに、前に書いた疑問の答が書いてある。一回読んだはずなのにすっかり忘れていたなあ。
ロシア語などのスラブ語系言語には冠詞がないので、こういった言語を母語とする人たちは冠詞に苦労させられるらしい。親近感を覚えるなあ。フランス語の冠詞は英語より「偉い」(偉い、というのがどういうことなのか具体的にはわからないのだが、マーク ピーターセン先生がそう書いているのでそのまま使っている)のでフランス語話者は英語を話すときに余計な the をつけたりする、と書いてある。これは日本人とは逆の苦労だなあ。しかし「冠詞」というものの感覚がある分、そういう感覚のない日本人よりは苦労が少ないだろうという気はする。英語話者がフランス語を習うと、必要な冠詞をつけ忘れたりすることもあるという。そういう経験をすると、少しは日本人の苦労がわかるのではないだろうか、アメリカ人はフランス語を必修にするといいと思うなあ。
# by xabon | 2005-08-18 20:35 | 文法

電子辞書

電子辞書が欲しいなあ。1年くらい前からそういっているのだが、いざ買おうかと調べて見るといくつか買うのをためらわざるを得ない問題点がわかってくる。
結構高いんですよね。辞書数冊分の情報が入っているわけで、もちろん、紙の辞書だって何冊か買えばそれくらいの、あるいはそれ以上の値段になるのだから当然と言えば当然だけれども、欲しくないのもはいっているのでそれは要らないからその分安くして欲しいのだがそういうことはできない抱き合わせ販売になっているようである。逆に、私の個人的な希望をいえば、仏和辞典と西和辞典と独和辞典が欲しいのであるがこういうのが一緒になっているのはないようだ。あんまりそういう買い方をするヒトがいないからだろうか。フランス語をやるヒト向けタイプ、スペイン語重点タイプ、ドイツ語重点タイプ、といった分かれ方になっている。カシオだったか、オプションでいろいろ追加できるのもあるようだが。
しかし電子辞書というのは、単語検索一点張りのようで、面白みというのがありませんな。紙の辞書のデータのうち、付録・図表などは除く、と書いてある。図表が面白いかどうかはよくわからないが、辞書の付録の部分というのは面白いのである。少なくとも私は付録の部分が大好きである。付録というとなにかというと、自分で組み立てる顕微鏡とかプラスチックでできたおもちゃとかそういうものであるわけはなく、「文法要覧」とか「綴りと発音」などが書かれている、後ろの方にあるページのことである。あれを読んでいるだけで、結構暇が潰れる。調べなきゃならない単語なんかそっちのけで付録を読んでいることもある。
小さいポケット版の辞書の、何が面白くないかというと、載っている単語が少ないとか対応する日本語の訳語の範囲が狭いとか用例があまり載っていないとか、そういう不満もあるが、付録が少ない、あるいは全然ない、というのがいやなのであまりお手軽な辞書は買わないことにしているのである。
電子辞書も、そういう付録の部分が収録されていないようだ。まあ、電子辞書に文法要覧が載っていたとしても、紙の辞書ほどじっくり読む気になるかどうか怪しいものだが。値段のことばかりでなく、電子辞書を買うのに二の足を踏んでいるのにはそういう事情もあるのであった。
# by xabon | 2005-08-17 23:06 | その他

冠詞

定冠詞と不定冠詞の使い方というのは、もちろん、基本的には既にわかっている特定のものには定冠詞、特定されないものには不定冠詞を使う、ということではありますが、慣用的な使い方の場合には言語によって少しづつ違いがあるのだそうで、たとえばピアノを弾く、などというのは英語じゃplay the pianoというわけだが一体どうしてこのpianoにつく冠詞がtheなのかというのはなかなか納得しがたいものがあるがドイツ語では冠詞がつかないのだそうである。英語でtheがつくのにはそれなりの理屈があるのかもしれないが、英語の世界でしか通じない理屈であって、ドイツ人は楽器に定冠詞をつけないといけない、とは感じないのである。日本人がピアノにtheがつく理由なんか理解できなくてもしかたないではないか。
そういえば、英語では曜日や月の名前は大文字を使いますが、他の言語では大文字である必要がないようだ。英語のIが大文字である理由はいろんな本に書いてある(イギリス人は尊大なので一人称を大文字で書く、これはガセねたなので、使うと「うそつき」といわれちゃいます)が曜日・月の名前を大文字で書きはじめるのは一体なぜだろう?
# by xabon | 2005-08-16 19:48 | 文法